2014年1月31日金曜日

第4回『TEAM EURO』走行会!悪魔のささやき・・・

1月25日(土)

この日は僕と中富君の他、O様2号、H川様・・・そしてN様2号が参加。

この5名で走ってきました。

寒さはいくらか和らいでいたので、路面とかは気にせず走れる状況でした。



そしてこの日誰よりもウキウキが止まらない!っていう人が1人・・・。



N様2号なんですけどね。

とうとうニールプライドのゼファーを納車して・・・前日から早速当店に自慢(笑)しに来ていたんですよね~。

もうこれ閉店前ですよ?

遠まわしに「翌朝の走行会では暴れますよ!」って宣戦布告に来ているようなものです(笑)

ちなみにこのゼファー。

『プレミア神戸』さんで購入し、作って頂いたもの。

プレミアさんは自転車部品卸の『トライスポーツ』さんが経営しているプロショップです。

僕は過去に短い期間ではありましたが、トライスポーツさんにお世話になった過去があるので、そこの中原社長には頭が上りません。

でもね・・・

うちもトライさんと取引できるので、ニールプライド扱えるんですよ!

N様2号には事ある毎にそう囁いてきたのですが・・・

しかし彼はすごく律儀な方なので、ニールプライドについては元々お世話になっている、プレミアさんで作ってもらうんだと固く心に決めていました。

こういうお客様ってショップとしても嬉しいですよね。

そしてこのゼファーにはちょっとしたこだわりもあります。

本来N様2号が乗っているゼファーは完成車モデルなので、最初から決められたパーツが組まれます。

ホワイトにちょっと見え隠れするレッドが好みだという理由から、このカラーリングしか乗る気が無かったのだとか。
一応フレーム売りもしているのですが、フレーム売りの方は・・・
このカラーリングしかないんですよ。

これはこれで綺麗なカラーではありますけど・・・

まあN様的に、あとは6800アルテグラ仕様であればそれでいいって感じでしたので、完成車モデルでもほとんど捨てる部品が無くてよかったんですね。

というのも・・・実はニールプライドの完成車にはちょっとした落とし穴がございまして。

まず第一にホイールのアッセンブルが最悪!

『シマノ・RS31』というリム高30mm程のエアロホイールなんですけど・・・(2枚目の写真はマビックのキシリウムがついていますが、そんなホイールがついたら、あと10万円は値段が上ります)

僕もこのホイールには本当に驚きました。

ここまでダンシングがまとまらない、気持ち悪い踏み心地になるホイールは他に無いのではないかと思えるほど。

とりあえず11速化対応って事と、リム高が低い『RS21』よりは見栄えがするって理由でつけたようなほとんどおまけ同然のホイールです。

正直同じシマノのホイールでも、『RS21』の方が断然走りやすかったです。

そしてタイヤも申し訳程度のタイヤしかついていません(笑)

だからニールプライドの試乗会ではトライスポーツさんも、惜しげなくエンヴィやライトウェイトのホイールを装着させてフレームの良さを引き出しているくらい・・・

プレミアさんでもそれについては、隠す事無く断り文句のように正直な説明があるそうです。

まあホイール交換有りきで買ってくれという意味ですね。

あとはジオメトリーやステムの突き出し長などのバランスが、完成車モデルだとN様の寸法に合わないので、ハンドル周りは元々乗っている自転車から移植。

ホイールも最初の写真を見れば判るように、TNIのカーボンディープリムホイールに変わっていましたでしょ?

サドルもオリジナルのものを外し、スペシャライズドのローミンに変えています。
このサドル・・・

メッチャ良かったです。

どこぞのSMPとかよりは乗る人を選ばない感じで、お尻へのフィット感もそうですが、フレックス(しなり)もそこそこあって、僕も欲しくなるくらい乗り心地が良いサドルでした。

でも僕の自転車にスペシャライズドのパーツは似合わないので諦めます(笑)

コンポーネントはともかく、ヨーロッパの自転車にはヨーロッパの部品でないとしっくり合わない・・・

少なからずそんな風潮はあるものです。

それが古臭い考え方なのかといえば、決してそういう訳でもなく、それぞれブランドカラーがあるので、実戦的な欧州ブランドには、やはり欧州ブランドの最高の機材を使った方が見た目もかっこいいですしね。

逆に歴史は浅くても最高の施設で、テストと研究を重ねて出来上がった新興ブランドのフレームには、こういった新しいメーカーのパーツをあれこれちゃんぽんしても、全然おかしくは見えないのであります。

むしろ機能美といってもいいですね。

僕は自転車屋であり一介の自転車乗りとして、そこのスタイリングにだけは、決して妥協する事なくこだわっていきたいと思っています。



ところで本題ですが、この日は東方面へ軽く流しましょうって話になりまして・・・

僕は相変わらずの睡眠不足で、しかもこの日の夜から夜通し車で走って長野県まで行く用事があったので、あまり疲れる走りはしたくなかった・・・というのが本音でして。

H川様は元気そうでしたが、O様2号は最近不調気味で、夏の頃ほど走れていないって感じです。

N様2号と中富君は・・・しんどいしんどいと言ってもそこそこ走れるでしょうから、O様2号のスピードを基準に走ることにしました。

王子公園と御影山手の上りに関しては、ウォーミングアップも兼ねつつ、N様2号の走りがどのくらい鋭くなったかを観察する為に走行。

しかしなかなか手の内を見せてきませんでしたね(笑)

その後住吉山手を東に抜ける辺りで、「もしかして岡本の狭い住宅街を抜けていく感じですか?」と言われて・・・

そこでO様2号が落車した過去が脳裏を過ぎり、「やっぱりルート変更します!」って山手幹線に移動しました。

実際のところO様2号はその当時よりも自転車に乗れるようになっていますから、余計な心配なんですが、何か僕のほうがトラウマになっちゃっています(苦笑)

住吉川から山手幹線を走る中、インターバルトレーニングを兼ねる為、僕は何度かアタックを仕掛けてはスピードアップしましたが、この日はやたらと後続が信号に捕まる日だったので、思いの他消化不良に感じていました。

更に阪急夙川駅前から越木岩通りを北上した辺りで、僕はルートに悩みました。

「宝塚まで・・・行く時間ないな~。武庫川河川敷まで・・・行って何するの?」等と考えた結果・・・

「やっぱ苦楽園の坂でも上るか~!」って結論になりまして。

苦楽園通りを左折後、樋之池町の交差点を右折し、バス道とはいえ激坂の苦楽園を上ることにしました。

予定ではノンビリでもいいから、一番上の苦楽園4番町のどん突きまでの、ジェットコースター並みの激坂を上ろうかと思っていました。

しんどいのは嫌だと言っておきながら、ずっと消化不良気味だったので、激坂の呼ぶ声に引っ張られました(笑)

ヒルクライムが好きな人でさえ、絶望感を感じるくらいきつい傾斜が、苦楽園4番町には存在しています。

まさに歩いている人が目を回すくらいの急斜面と眺望で、高所恐怖症の人には絶対に住めないような環境がそこにあります。

だから苦楽園3番町までのバス道は、そこへ上るまでの準備運動と考え、ノンビリ上るつもりでいました。

ところがそこで、後ろからものすごいスピードでN様2号がアタックを決めたのです!

「うわっ!マジか?も~っ!面倒くさいな~!」とか言いながら僕も反応してしまいました。

レーサーという生き物は、およそ挑まれたら応えずにはいられない性なんですね。

だからって苦楽園の坂を時速40kmオーバーで突っ込むか?

しかしゼファーに乗ったN様2号ですからね。

とにかく一瞬追うのをやめようかと思うくらいの猛ダッシュだったので、行くからには僕もそれなりの速度で追わないと追いつけない訳で・・・

10%以上の激坂を38T×18Tで上りはじめた僕は、それでも差を詰めれなかったので、更に17Tにシフトアップして、射程に捕らえてからまた更に16Tへシフトアップ。

するとN様2号がこれ以上スピードを維持できないって感じでスピードダウン。

「よっしゃ!これでとりあえずNさんを捕らえられるけど、そこからどうする?一気に抜き去る?それとも後ろにべったりついてマークする?」

しかしこの後更に12~13%ほどの激坂第2波が控えているので、僕も無理はできません。

失速したN様2号を引っ張りつつ、とりあえず苦楽園交番までのバス道のピークまで一緒に上りました。

僕も大の字になって倒れたいくらい疲れましたけど・・・

N様2号は相当張り切り過ぎたのか、途中・・・まるでうめき声みたいな呼吸で苦しそうにしていました。

歩道を歩く女子高生がビックリして立ち止まるほど・・・

これだけ全身の筋肉をフルに使ったら、さすがにもう苦楽園4番町のピークまで上る元気も残りません。

でも楽しかったです。

やはり一瞬でもいいから、このくらい死ぬ気で走らないと、生きている喜びを実感できません。

「それにしてもNさんどうしたんですか?こんな無謀なアタックをするなんてらしくないですね。」

「いやぁ。後方で皆さんの走りを観察しながら走っていたら、中富さんに「あれ?Nさん行かないんですか?坂道ですよ?行ったらいいんとちゃいます?きっと店長も喜びますよ。」って囁かれたもので、そんな単発の短い上りやったら逃げ切れる・・・と思ったらこんなに長い上りやなんて!って感じでした。」

「ははぁ~。多分奴はそんなNさんが素直に応じてアタックしたのを見て「うわ!ホンマに行きよったわあの人!」くらいに思っていて・・・更にそのNさんに反応した僕を見て、「ほら行った!ホンマに反応しよったであの人。アホや!アホ過ぎる~!」とか言って、手をたたきながら喜んでいるに違いないですね!」

「あ~!それ・・・間違いないですね(笑)」

「じゃあもう今回の走行会のレポートは、サブタイトルが『悪魔のささやき』に決定ということで・・・」

「いいんじゃないっすか(笑)」

そして間も無く残り3名がピークに到着。

そこからフラフラになりながらも、ライト坂までのアップダウンを走る。

芦屋川沿いに国道2号線まで下った一行は、右折して2号線を西進する。

その際N様2号からO様2号のペダリングとフォームに関して、見直しが必要だという意見が飛び出したので、住吉川までO様2号に先頭を走っていただき、その間色々な角度から見させてもらいました。

たまには『フォーム見直しクリニック』的なものは必要ですね!

O様2号についてはペダルを踏み込む時に、指から足の甲の部分にかけて力が入っていたので、それが硬いペダリングになっている原因だと感じました。

要するに足首の動きが使えていない訳なんですね。

確かにペダルのスピンドル(軸)の上に持ってくるのは母指球の部分ですが、踏面がそこなのであって、力をかける力点は別になります。

かかとから踏み下ろし、反対の足はかかとから引き上げるのが意識の基本。

『てこの原理』をフル活用したペダリングにおいて、足首が動いていないのはその基本ができていない証拠です。

信号待ちで「Oさんはつま先に力が入りすぎですね!この辺(すね)がしんどくないですか?」

「ああ、そう言われてみたら・・・」

「もっとかかとに意識を持って下さい。あとひざが開いてがに股にならないように!」

それからの走りを見ていたら、随分とフォームが綺麗になりました。

更に・・・O様2号はどこぞのSMPサドルが意外にしっくりとくるらしくて・・・

N様2号が「せっかく買ったので、しゃあなしに使っている・・・」っていうSMPサドルを、なんとしばらくの間O様2号にお貸しします・・・ってレンタルする事になりました。

N様2号はO様2号にオタクネタが通じると判ってなのか・・・優しいですね~。

O様2号もこれでバッチリとフォームを改善して、速く走れるようになりますね!!

そしてお店までの帰りに2号線でラストのスプリントを頑張ってみたんですが・・・

2台の大型トラックに幅寄せを喰らって、残念ながら時速53.7km止まりでした。

今回こそ60kmオーバーまで引っ張るつもりだったので、またしても不完全燃焼で頭にきました(苦笑)

僕もいい加減、平地で時速65km以上のスピードを、いつでも出せる脚に戻したいと思っています。

うちのチームにもそのくらいのスピードを持ったスプリンターが、新たに加わってくれると燃えてくるんですけどね・・・ははは(苦笑)

2014年1月30日木曜日

1月19日(日)ポタリング? というより・・・

この日はとにかく寒かった。

朝家を出ようと思ったら家の前の道路が凍結しているではないか!

大通りに出ればそれほどでもなかったが、荒田町の日陰になった路地はえらいこっちゃで・・・

「今日はさすがに誰も参加しないやろな~。」ってスーパー安全運転で出勤。

すると店の前に真っ赤なユニフォームを着た誰かが・・・

「あれ?まさかのN様2号か?いや違う!あのフェラーリジャージはH野さんだ!」

そうなんです。

H野さんは愛車がコルナゴ・マスターエクストラライトなので、ウェアもコルナゴにこだわっています。

そしてコルナゴといえば、1986年よりフェラーリとカーボンフレームの技術協力関係があるので、コラボレーションしたグッズやウェアも人気が高いのです。

「こんな寒さやし、店長来なかったらどうしようかと思ってました。」

「僕も今日は誰も来ないんじゃないかと・・・(笑)」

「今日はどんなご予定ですか?」

「誰も来ていなかったら朝マックにしようかと・・・っていうかH野さんもいかがです?」

「あっ!それいいですね。もう寒いんでそうしましょうよ!」

「ですね!たまにはそんなのも有りです。」

という具合にブルメールHAT神戸のマクドナルドへ・・・

ポタリングどころか・・・すぐそこやん!

そう突っ込まれても仕方ないくらい、今回は手を抜きました(笑)

だって寒かったんですよ?

近所のマクドナルドでモーニングというのも、ゆっくり会話が楽しめていいものです。

僕とH野様と留美さんの3人でしたが、色々話しているとあっと言う間に9時45分・・・

でも近いので・・・慌てなくても開店時間には間に合いました!

そういえば今回は部活の練習で走っていた渚中学校の学生さんに、ポタリングを適当に・・・マクドナルドに入るところを目撃されていたみたいで・・・

「店長~今日何しとったん?」

「お客さんと朝マックしてたんよ。」

「いいな~。私にもおごって~!」

「いやいや。おごるとかおごらないとか、なんでそういう話になるかな~?」

「お腹空いた~!そして寒い~!」

「ははは・・・(汗)」

まあ寒かったですけど、平和でゆる~い一日でした。



あっ!そうそう。

O様1号が血相を変えてご来店になったのですが・・・

デュラエースのリアディレーラーの部品が外れていたらしいのです。

ディレーラーハンガーブラケットに固定する為のブラケットボルトなんですが・・・

普通ここの部品・・・つまり5mmのアーレンキーを刺す周辺って、一体化していて壊れる要素が無いじゃないですか?

しかし9000系デュラエースって、よく見たらボルトの周りをワッシャーで塞いでいるだけの造りで、そのワッシャーも細いリングで固定しているだけの、非常にちゃちな構造で・・・

今回は部品が全て残っていたから直せたけど、もし紛失していたらと思うとゾッとする。

もちろんそれで走れなくなるのか?といえば全然走れるんだけどね(笑)

ちょっとそこの構造については「もの申したい!」って感じでした。

9000系デュラをお使いの方はくれぐれもご注意下さいませ!

2014年1月29日水曜日

第3回『TEAM EURO』走行会!TREK×2 vs GITANE

1月18日(土)の走行会は僕とM様とH川様の3名でスタート。

この日もまあまあ寒かったですからね~。

皆さん朝起きるだけでゲンナリするのでしょう(笑)

僕も土曜日の朝で、満足に睡眠を取った覚えがないので、毎度走行会になると・・・

「はあ~。またやってもうた~。」って気分になってしまいます。

ただ参加者の方が来てくれるだけで、モチベーションアップにはなっているので、それが何よりありがたいです。

中富君も前日に再び広背筋に違和感を感じたとかで・・・欠席。

「今日も寒いので・・・軽~く西方面を流しましょう!」

そういって長田を目指す。

街中ではほぼポタリングと言っていいくらい、普段通る事のない道を進む。

しかし長田神社付近よりバス道を上りに入ると、そこからは真剣に走らないと・・・

ちなみに華の湯まで上る道を、途中の花山町北の交差点で右折して、鹿松町1丁目まで上る。

実はここのルートは新道ができるまでは、ひよどり台までのメインルートだった道なんですが、平均10%の勾配がそこまでの上りで疲れた脚を更に追い詰めます。

若い頃僕はよくここで上りのスピードを磨くトレーニングをしていました。

ジロ・デ・イタリアなどのビデオを観ては、好きな選手のアタックを真似してみたり・・・

今思えばあんな無謀な走りの積み重ねで、当時の僕は速くなれたと思います。

久々にアタックを決めて、しんどかったけど・・・すごく気持ちよかったです。

そこからは妙法寺~高倉台~須磨寺~と回って国道2号線をベースにHAT神戸まで帰りました。

高倉台でドリンク休憩をとった時、ふと見て思いました。

「そっか!2人ともTREKだったんだ?なんだかTREKストアの走行会みたい。」

するとM様が・・・

「いや~。ここ(EURO)の走行会の方が強度が高いですよ。」

「そうですか?僕けっこうぬるく走っているつもりですよ。」

「確かにゆっくりの区間も多いけど・・・メリハリがあって楽しいです。」

「ありがとうございます。」

M様は僕と同い年ですが、H川様は54歳!

でも年齢差とか性別とか関係ないですよ!

誰もが気持ちいい汗をかき、「今日もいい走りが楽しめた!」

そう思ってもらえる事が、僕にとっての本望です。

人数が少なくても楽しく走れたら嬉しいものです。

というわけで・・・

これからもよろしくお願いします!

2014年1月28日火曜日

『弱虫ペダル』はまってます!その2

そういえば、アニメの方も今インターハイ出場をかけた合宿のバトルらしいですね。

前回の記事で僕がいいなと思ったシーンがそろそろTVでも観れそうです!

ところで続きですが、インターハイ1日目前半・・・平坦区間でのスプリントのシーンについて・・・
総北高校のスプリンターである田所先輩と鳴子君が、先に逃げたグループを圧倒的な速度差で抜いた辺りから面白くなってきます。

中間計測ポイントでどこのチームが何着で通過するか・・・

それがメイン集団での力関係にも反映される(本来のロードレースにおいて、厳密にはそういう理由ではないのだが・・・)こともあって、各チームのスプリンターたちがプライドを賭けてトップでの通過を狙う訳です。

しかし圧倒的な走りを見せた総北高校の2人を、更に圧倒する選手が1人追い抜く。

箱根学園の泉田君ですが・・・(僕個人的には苦手なキャラです)

ものすごい絞りきった筋肉の持ち主で・・・自分の大胸筋と広背筋に名前までつけてるようなナルシストなんですが、メチャクチャ速いんです。

そしてこの3人で計測ポイントまでの区間を争うのですが、この時の田所先輩と鳴子君の勝利にこだわる姿勢や、過去の回想シーンに親しみを感じるというか。

田所先輩が鳴子君に「お前1年生ウェルカムレースで今泉に負ける前に負けた事はあるのか?」って聞いた際、鳴子君は「答えたくない!」って頑なに拒否をするんです。

プライドが高くて負けず嫌いな鳴子君らしいといえばそれまでなんですが、要するにたくさん負けを経験してきているんですね。

敗北の味を何度も噛み締めてる男ほど、負けた事に対するコンプレックスが人一倍強いんですよ。

それって子供の頃の僕も同じで・・・

ずっと父親に褒めてもらう事がなくて、何をやっても「お前はセンスがない!」とか「それでも俺の子か?」と言われ続けていた為か、いつも「俺はセンスがないんだ。」とか、「何をやっても親父には勝てないんだ・・・」という、劣等感のようなものを抱き続けていたのです。

しかしその反面「いつかみてろよ!必ずお前をぎゃふんと言わせてやる!」そういう反骨精神も持っていたので、例えば相手が年上であろうが、倍ほど身体が大きかろうが、大勢いようが、ケンカを挑んだら勝つまで諦めなかったり、勉強もスポーツも自分より成績のいい人に圧倒的な差で勝つために頑張っていたことがあるので、このシーンにはすごく目頭が熱くなりました。

そしてそれは田所先輩も同じで、劣等感と負けた事に対する悔しさの狭間で苦悩し、それを乗り越えて力と実績をつけていった過程があり。

つまり泥水をすするような思いを、たくさん重ねてきたっていう事は、それだけ闘ってきたって事だ!という田所先輩の台詞には胸に熱く込み上げてくるものがありましたね。

僕もたくさん辛酸を舐めてきましたから。

そしてこのシーンのおまけですが、このスプリント合戦で総北高校の2人が勝つのですが、その要因のひとつに、泉田君が風で倒れてきたパイロン(三角コーン)を避けたのにも関わらず、あとの2人は避けもせずに真っ直ぐ突っ込んだというのがあるのですが・・・

これも理由は単純で、避けるのがタイムロスだからであり、また万が一落車してもその時はその時っていう考えからなんですが、それって僕の考え方と全く同じだったので笑えました。

そうですよ!

レースで勝ちを狙いに行く人間に理屈なんてないんですよ。

下らない講釈をたれてる暇があったら、ゴール目指して一直線に突っ走れ!

本来そうあることが・・・そういう人こそが勝利の美酒を味わうにふさわしいと思うのです。

読んでいて本当にワクワクしました。

僕もまたワクワクできるような走りを目指して、諦めずにトライしたいと思います。

そういえば最近テニスの全豪オープンで、錦織選手がナダル選手に負けてシャワールームで号泣したって話がありましたが・・・

これは手応えがあってそれでも負けたから全力で悔しかったんだと思うんですが・・・

僕は不完全燃焼が悔しくて、レース中にアイジャケットが涙で前が見えなくなるくらい泣いた事があります。

あれは2001年・・・いや2002年だっけかな~?

いつやったレースで、何て名前の大会だったかも忘れてしまうくらい、そのくらい僕の中では記憶から消してやりたい程悔しくて、そして腹の底からむかついたレースがありました。

神戸空港開港記念って名目で、ポートアイランドの第二期地区で行われた周回コースを走るレースです。

当初は地元神戸で開かれる初めての自転車レースに、「地元最強チームとして、意地でも他府県のチームに負けるわけにはいかないな。」って意気込んでエントリーをしたのです。

地元で開催されるレースというものは特別です!

ヨーロッパのプロのレースでも、開催地出身の選手は人一倍気合を入れて走ります。

また地元の応援団もそういう選手を大切に考えるものです。

まあ僕はそんなたいそうな応援団を呼んではいませんでしたが・・・

『2時間エンデューロ』と『個人ロードレース』。

その2種目にエントリーしました。そして2冠を獲るつもりでいました。

スケジュールに関しては鈴鹿ロード同様、複数エントリーする選手も多いだろうから、どちらかが朝一で、もう片方は午後の種目になると思っていました。

ところが有り得ない事に、大会当日までスケジュールの詳細が発表されなかったのです。

そしてその当日になっても予定通りに進行されず・・・

まず昼前にエンデューロって事に驚きました。

「普通エンデューロなんて最後の締めだろ?」そう感じたのは僕らだけではなかったはず。

しかも個人ロードがその直後に予定されていて・・・

「これって有り得なくない?もちろん少し時間が空くんやろうけど・・・」

妙な不安がありました。

ちなみに周回コースの1周の距離は5.2kmだったかな?5.3kmだったかな?とりあえず5km以上はあったと思います。

というのも2時間エンデューロは1チーム3~4名でエントリーなんですが、ここで勝つためには最低でも17周走らないと無理だというのが僕の見解でした。

なので作戦としては一番重要な第1走を僕が走り、5周毎にメンバーチェンジ。

4人でエントリーしてますが、毎度の如く1人は補欠なので、3人目が走り終わったら再び僕が残り2周または3周するというオーダーを考えていました。

一応メンバーとして僕とY氏、O君の3人がいれば、全国クラスのチームにも十分戦えるっていう自信はありました。

しかし当時僕がお世話になっていたプロショップの店長が応援に来てくれていたのですが・・・

「東君!バ●バレーシングってチームには気をつけて!そこは速いよ。」

そうアドバイスをされ、スタートラインへつく。

ローカルなレースとはいえ、初開催のレースは優勝を狙いやすいって事もあって、せこく勝ちに来るハイエナみたいな連中はどこにでもいるもので、結構レース自体も荒れる傾向があります。

だからなのか、福知山や立命館のクリテリウム程ではないけど、心なしか殺気立った嫌~な空気は確かにありました。

でも僕ってそういう殺伐とした雰囲気、嫌いじゃないんですね(笑)

なんか容赦なくダーティーに戦えるじゃないですか?

理想はスポーツマンシップに則った正々堂々のバトルですが・・・

僕は全身アドレナリン体質な人間なので、汚い走りをする選手がいた方が、俄然燃えてくる性格なんです。

『やられたら20倍返し!』これが子供の頃からの僕のポリシーだったもので・・・

荒っぽいレース大好きです。

「俺のラインを邪魔するやつは全員どつきまわしたる!」

クリテリウムや平地主体のレースでは、いつもそのくらいの気迫で走っていました。

実際レース中は怒号やショルダータックルなんて当たり前。

酷い時はパンチやキックだって飛んでくる。

それがレースなんです。

みんな・・・たった一人の勝者を目指して必死なんです。

鳥肌が立つほどワクワクしてきませんか?

普段からぬる~い生活しか知らない人には、およそ知る由もない世界が自転車レースにはあります。

認められるのはたった一人の勝者のみ!

だからスタートラインに立ったその瞬間から、意地とプライドのぶつかり合いが始まるのです。

エンデューロも例外なく、スタート前のこの緊張感がたまらない。

「お前らどこから来た馬の骨どもか知らんけど、俺と俺のチームに勝てると思うなよ!」

そう自分自身にも言い聞かせて、メンタルを調整する。

どんなスポーツでもそうですが、「絶対に勝つ!」そう自分に言い聞かせる事は必要不可欠です。

エンデューロスタート!

まさかのスタート直後からのハイスピードレースでした。

エンデューロは第一走者がキモなんです。

というのも、最初の走者が速いチームは精神的にも優位に立てるので、選手交代もゆとりをもってできる訳で・・・

他のチームにプレッシャーを与える・・・というより、「勝負を諦めろ!」という引導を叩きつける大事な役割があるので、ここにエース級の選手を持ってくるチームって意外と多いのです。

「参ったな・・・予想外だ。」

当時の僕の率直な印象でした。

圧倒的な力量差で勝つつもりが、思っていた以上に全国から大勢のハイエナが集まっていたみたいで・・・(笑)

1周目を終えた時点で平均時速42kmを超えていました。

更にまだ速度が上って・・・

それでも17人の猛者が縦一列のまま、まだ先頭グループを形成。

あとのチームはそんなスピードに、とてもじゃないけどついていけないって感じで、次々にちぎれていきました。

しかし2周目を終える頃には更に8人に絞られ・・・

3周目を終える頃には、バ●バレーシングのAチームとBチーム、そして僕の3人しか残っていない状態でした。

「こいつらが気をつけろって言っていたチームか。たいそうに2チーム体制で参加とは・・・そこまでして勝ちたいか?そやけど・・・そうは簡単に勝たせへんぞ~!」

改めて敵がハッキリ判ったところで僕も闘志を燃やしたのですが・・・

しかし速かった!

バ●バレーシングは確かに・・・半端なく速かったです。

4周目に入った時点での平均時速は44km超ですよ?

正直僕もついていくのが精一杯で、このままのペースを維持されたら、個人ロードでまともに戦えないって直感しました。

きっと彼らにはエンデューロを確実に勝つって目標があったんでしょうね。

エンデューロも個人ロードも、両方で優勝を狙おうとする僕とは違って、彼らは体力を温存する必要がない走りをしていました。

それだけに「こいつらとだけはローテーションしたくない・・・」そう思えるくらい不利な戦いになっていたのは確かです。

結局一人5周のノルマでしたが、急遽4周を終えて僕はY氏に交代してもらったのです。

そろそろ僕の心肺もレッドゾーンに突入していたので・・・

ただバ●バのメンバーもそろそろ限界が近かったはずなので、先に選手交代した方が優位に立てる可能性があるとも思っていました。

ところが3位のポジションで交代したY氏がいつまで経っても戻ってきません。

まさかの体調不良で13位までポジションを落として1周目を走ってきたのです。

「これは駄目だ・・・」

そう思った僕はすぐにO君に交代するように指示し、補欠のK君にウォーミングアップをさせる。

鈴鹿の悪夢の再来でした。

勝てるチームなのに結果、表彰台にも乗れない・・・

その僅か1周の間の遅れだけで、僕は確実な敗北を痛感しました。

O君も思いの他不調で、4周走って5人しか抜けず、8位の状態でK君にバトンタッチ。

僕の脚がまだ回復していないのでK君に委ねるしかないのですが、サボり癖の多いK君はスタミナが無くて・・・

3周を終えて16位までポジションを落とす。

「うわっ最低やな・・・もういい!代われ!」

勝利しか頭に無かった当時の僕には、これほど残酷なシチュエーションはなかったと思います。

そこで堪らず僕が挽回を賭けて交代。

しかしここで頑張ると、この後走る個人ロードレースをふいにしてしまうので、本当は脚を使いたくなかったのですが、これ以上チームの無様な走りを晒したくないって一心から、意地で力走しました。

結局トータル15周目でフィニッシュ。

そんな周回数じゃ勝てる訳がありませんよね?

結果的に総合順位は7位か8位だったと思います。

僕はこの日の為に調整してこなかったチームメイトに対する怒りと、他のチームに優勝をさらわれた怒りで、頭の中は真っ白になっていました。

大切な地元のレースで最高のパフォーマンスを発揮できない程バカな事はありません。

調整する事って大切なんですよ。

仮に調整できてなくても根性で何とかする。死ぬ気で走れ!

それが男やろ?

当時の僕はそんな感じでしたので、このレースがきっかけで、当時のチームメイトとの亀裂が大きくなってしまったと思います。

そして更に問題が・・・

僕がピットに戻ったら、体調不良で倒れているY氏以外のメンバーがいないのです。

「あれ?みんなは?」

「個人ロードの受付をしに行きましたよ!」

「えっ?マジで?それってやばいやん!」

慌てて受付まで走って行ったら・・・

「もう出走受付は終了しました。」

「はあ?どういう事?じゃあ僕はどうなるの?」

「そうですね未出走という事で失格ですね。」

「何言うてんねん!たった今エンデューロを走っとったんやないか!そのくらい判らんのか!だったらなんでこんなメチャクチャなスケジュールを組むくせに、複数エントリーを可能にしてんねん!」

「そう言われましても・・・」

「アホか!お前じゃ話にならん!本部はどこじゃ!」

余りにも杜撰な大会運営に怒り爆発の僕は、早速大会本部に怒鳴り込み・・・

「お前ら参加選手を何やと思うとんねん!訳の判らんスケジュールを組んでおきながら、それすらもまともに時間通り遂行できず、挙句の果てに受付時間だけは厳守かい!こっちは受付時間の最中も走っとったんじゃ!それでもあかんて言うんやったら金返せ!こらぁ!さっさとエントリー料返さんかい!!」

そして10分後。

「わかりました。何とかスタート管理の方に出走のOKを出しましたので大丈夫ですが、あと3分でレースがスタートするので、急いでスタート地点まで移動して頂けますか?」

何がわかりましたやねん?っちゅう話ですわ。

すみませんの一言くらいあってもいいくらい・・・それよりあと3分って・・・(汗)

慌ててスタート地点についた頃には最後尾につくしかない状態で・・・

しかも1分もしないうちにピストルが。

エンデューロで7周走って脚の疲れが抜け切らないうちに、受付と大会本部まで走って抗議して・・・

そこからまたスタート地点まで走って、息も切れ切れの満身創痍の状態でレースをスタート。

とりあえず3周あるレースなので、2周目までは、無理せず脚を回復する事に専念して、何とかスプリントだけでも戦えるようにするしかない。

そう思って徐々に順位を上げながら走りました。

しかし先頭集団のスピードは速く・・・

最後尾からスタートした僕は、脱落組に行く手を阻まれ、なかなか先頭集団まで追いつけない。

ようやく先頭集団を射程内に捕らえたのが2周目の終盤。

だが追いついたと思ったら更にスピードアップ。

それこそ先頭集団に追いつくために時速60km以上のスピードで走った僕には、もうアタックをしかける脚も残っていなくて・・・

それでも必死に集団の先頭から8番手くらいのポジションをキープしながら走る。

もちろんローテーションにも加わってましたよ。エチケットですから・・・

脚はそろそろ限界でしたが、まだゴールでのスプリント勝負を諦めていませんでした。

8番手・・・これは僕にとって必勝のポジションなんです。

先頭からマークされずに飛び出せる最高のポジション・・・

ところがゴール2km前からまた更にスピードが上り、時速は68kmを指している。

満身創痍の僕に、このスピードから更にかぶせ込むようなスプリントをかける余力はなく・・・

60km・・・56km・・・もうその程度のスピードを維持するのが精一杯で。

「くそっ!動けよ俺の脚!何でもっと強く踏めないんだよ!地元のレースやねんぞ!」

次々に後続に抜かれながら・・・

涙が溢れて前が見えないままゴール。

「ちくしょ~っ!なんでやねん!」

勝負が一切できなかった。

レースを走っているのに何一つ勝負を仕掛けられなかった。

最後のゴールスプリントまで脚を残せなかった。

これほど悔しい事は他にない。

あの時の屈辱と心の傷を、僕は生涯忘れる事はないと思う。

それだけに記憶から消し去りたいくらいの嫌なレースだったわけですが・・・

そんな思いをした事もあって『弱虫ペダル』を読むと、素晴らしいチームにうらやましいと感じたり、完全燃焼できる勝負がしたい!って思えてしまうんですよね。

だから僕はこれからもっと『弱虫ペダル』の読者が増えるといいな・・・って思っています。

そして勝ち負けだけではなく、一緒に走れる事に充実感を共有できる仲間を、もっともっと増やしていきたい・・・

そう思いました。

2014年1月22日水曜日

『弱虫ペダル』はまってます!その1

なんていうか・・・

あんまり漫画って見ないんですよね。

まあ『ワンピース』と『HUNTER×HUNTER』だけは見てますけど・・・(笑)

僕が初めて『弱虫ペダル』の存在を知ったのは2011年のサイクルモードでした。

渡辺航先生のブースがあって、「何これ?」ってな感じで・・・

でも自転車の漫画ってそんなに読む気になれなくて、それ以降も全く興味なかったんですね。

ところが昨年N様2号が『弱虫ペダル』を1~11巻まで、当店に寄贈して下さって・・・

少しずつ時間の合間に読んで・・・

3巻くらいからだんだん面白いって思うようになって・・・

5巻を読み終わったあたりからは食い入るように読むようになってしまった。

「ヤバイ!続き買わなきゃ・・・」

最近そう思うようになりました。

お世辞にも絵がめちゃくちゃ上手いとかではないのですが、キャラクターをしっかり活かしているというか・・・

とにかく読んでいるだけで熱くなってしまいます。

そして慣れてくると、登場人物それぞれに設定されている個性的な口癖も気にならなくなり・・・

また御堂筋くんのキモさに慣れてくると、少々キモ~い(恐い)ホラー映画を観てもなんとも思わなくなってきます(笑)


僕が現在11巻まで読んで一番印象に残っているシーンは、インターハイ出場枠を賭けて争った合宿での1年生と2年生のバトル。

そしてインターハイ1日目前半の平坦区間でのスプリントバトルのシーンですね。


「とにかく誰よりも速くなりたい!」

僕も若い頃は「俺が神戸最強最速の男や~!」って啖呵を切って走っていただけに、その想いは良く解ります。

レースも知らない高校生の頃から、スピードメーターを睨みつけ、必死にもがいてました。

最高速度をどこまで伸ばせるか?

子供の頃に読んだ図鑑では、自転車は馬と同じくらいで、最高時速72kmくらいで走行できるとあり、僕の中では時速72kmが一つの基準となっていました。

「絶対に時速72kmの壁を越えてやる!」

そして5万円もしないブリヂストンのワイルドウエストをオーバーホールし、前後輪のハブのベアリングを研磨して・・・

18段変速しかないそのMTBは、トップギアが48T×13Tだったので、平地ではどんなに頑張っても時速65kmが限界でした。

そこで次に僕はXTのディレーラーとスプロケを導入し、LXのハブでホイールを組んで、フレームのリアエンドを拡げて6速から8速化し、48T×11Tのギアを手に入れました。

さすがに48T×11Tのギアは回し切れる代物ではありませんでしたが、それがむしろ「まだまだ伸び代が残っている!」って、ポジティブに感じていて・・・

で、結局は平地で時速73km以上を出せるようになったのです。

初めて72kmを超えたのは神戸高速鉄道長田駅~大開駅の区間でした。

バーエンドバーを握り締め、ハンドルに顔を擦り付けるくらい前傾してスプリント!

そんな経験からか・・・登場人物の鳴子章吉君は紛れも無く、若い頃の僕とタイプが同じ様な気がします(笑)

同じくスプリンターから自転車競技に入り、ヒルクライムもそこそこ走れるようになって、オールラウンダーに目覚めた僕には鏡のようなキャラクターです。



合宿の1年生vs2年生について・・・

僕は基本追われるより追う立場が多かったので、基本的には1年生のトリオが、1999年~2001年の当時紛れも無く、神戸どころか兵庫県最強最速のホビーレーサーチームに仕上げていた、前『TEAM EURO』の僕を含むTOP3にシンクロして見える事があり・・・

でもこのシーンではそれ以上に、2年生2人の努力と先輩をリスペクトする熱い想いが最高に良くて、最後5人が横並びでゴールラインに飛び込むシーンはドキドキしました。

結果的に負けた2年生2人は無理をし過ぎて合宿最終日をリタイアしましたが、その時に「そこで無理せず走っていれば、まだ1年生との差は1周あったし、逃げ切れていた・・・でもそんな勝ち方を求められていない!あそこは勝負をするところだったんだ!だから後悔はしていない」的な、もの思いにふけるシーンがあって、そこはジーンとしちゃいました。


僕が99年の『鈴鹿ロード』で、初日の午前にチームTT、そしてその午後に個人ロードに出場した時のこと・・・

チームTTは1チーム3~4人のメンバーで走り、ゴール時に最低3人が揃ってゴールしないと失格になるというルールがありました。

選手の揃っているチームは4人体制で、1人が完全に列車役で途中離脱OK!みたいな・・・

うちはTOPの3人以外のメンバーだと一気に平地のレベルが落ちるので、引くも何も足手まといになるから4人目はいらないって感じでした。

それだけに他の有力チームよりは断然不利でしたね。

自転車競技は風の抵抗との闘いなので・・・

当時の鈴鹿サーキットは1周5.864kmあり、97年にゴール前の大クラッシュがあった関係で、自転車レースは逆走ルートになっていた。(ホームストレートが約3%の下り傾斜の為)

そのコースを3周するのですが・・・

当時の鈴鹿サーキットでメイン集団で走り切って、更にゴールスプリントで勝負を仕掛けるならば、最低でも1周あたり8分で走る事が絶対条件と言われてました。


そのくらいの走力が無ければ歯が立たないのが鈴鹿ロードです。

F-1グランプリや鈴鹿8耐を観てるだけでは判らないでしょうが、鈴鹿サーキットはかなり起伏に富んでいる上、路面の摩擦係数が高い事でも知られています。

その上風や天候の影響に左右されやすいのも、ここの名物であります。

僕の見立てと過去のリザルトから想定できる予想では、チームTTの場合3周で24分というタイムが、表彰台への最低条件だと考えていました。

なので僕は1周目と2周目を死ぬ気で引いて、ラストの3周目を残った2人に頑張ってもらう。そして僕は残った力を振り絞って2人に食らいついていく・・・

そんなオーダーを考えていました。

3周24分なら僕一人でもキープできる自信はありましたが、24分がボーダーなら23分以内を目標にするのが僕のポリシーです。

なので最初の2周で僕は出し切って、1秒でも多くタイムを貯金し、ラストの1周で残った2人のうちどちらかが先頭を引き、もう一人が僕をアシストする。

それぞれの役割は決まっていました。

1周目は7分58秒。

2周目は7分40秒。

もう僕にはこのスピードを維持する足が残っていません。

「3周目は8分でいい!それなら何とかついていける!だから8分は必ず死守してくれ!!」

そういって先頭を交代し、ホームストレートからシケインまでの上りを走行中・・・

僕の目の前で先頭を代わったO君が、横からの突風に前輪をすくわれ、時速56kmのスピードのまま頭から地面に叩きつけられたのである。

そんな落車のしかたある?

見たこともないような恐ろしい落車の瞬間を見てしまった。

鈴鹿サーキットには魔物がいるのか?

その余りにも酷い落車を目にした僕は、もう絶体絶命だと感じました。

タイム云々どころか、リタイアは確実だと・・・

「大丈夫か!?意識はあるか?」

ところがO君は1分程動けずに倒れていたが、ふと思い出したように立ち上がると、不屈の闘志で自転車にまたがった。

「すまん!まだ走れるから最後まで走らせてくれ!」

「わかった!無理はするなよ!Yさん!もう一度僕が引くからOを頼みます!」

そう言って僕は残りの力を振り絞って引く。

バックストレッチを上りスプーンカーブを曲がる頃、僕はもう意識が飛びそうなくらい疲労困憊に陥っていた。

すると次の瞬間O君が先頭を代わって前に出てくれた。

「不死鳥かお前!」

嬉しくなった僕は、すぐにでも自転車を投げ出して倒れたい程、疲れきった身体に鞭を打って・・・

「よっしゃ!いけ~!挽回せぇ~!!」って叫びながら、離されないよう必死についていった。

そして特に風の酷い立体交差やデグナーカーブ付近でO君が力尽きた頃、Y氏が先頭を代わって最後まで引いてくれた。

タイムは25分36秒。

200チーム以上参加した中の54位だった。

その時の優勝チームは23分を切るか切らないかってくらいのタイムで、2位のチームでさえ23分台前半だった。

そして忘れもしない・・・3位に入ったSANYOのレーシングチームが24分08秒だった事を。

O君の落車のせいにはしたくなかったので、口には出せなかったが、あのまま走っていれば3位は確実だったのだ。

僕の気持ちを悟ってか、O君が「すまん東。俺が足を引っ張ってしまった。」と謝ってきたので、僕は「気にするな。俺には午後の個人ロードがあるから、そこで優勝を狙えばいいさ!」と返しました。

午後の個人ロードはチームTTで疲れ切った同日に行われるため、とてもじゃないがプロや実業団と同じオープンロードで10周も戦う余裕は無くて・・・

3周で争う個人ロードAにした訳です。

それもO君以外のメンバーY氏と河合君、K君の3人が参加するので、チームの2軍メンバーの河合君とK君は1周目で引っ張り、2周目からはY氏が引いて、3週目のどこかでタイミングを見計らって僕が飛び出す・・・そして目指すは優勝の2文字!

そんなチームオーダーを組んでいました。

ところが個人ロードAの参加者は700人以上にも及び・・・

あろう事か3組に振り分けられ、見事全員がバラバラになったのである。

10人以上がエントリーしているチームならともかく、少数メンバーの弱みですわ。

「チームオーダーもくそもあったもんじゃねぇ!」

簡単に勝たせてもらえるレースなんてありませんね。

僕は第2組目にスタートする事になり、チームメイトはゼロ。

200人以上の選手全てが敵!

アタックの応酬になるのか、はたまたゴールスプリントまで勝負が決まらないハイスピードレースになるのか・・・

どこで仕掛けていいかも判らないレースだったので、ドキドキしながらも、午前の屈辱は晴らす気で挑みました。

1周目を走って感じたこと。

200人以上いるうちのほとんどは集団走行もままならない素人ばかりで、ペースやライン取りがメチャクチャ。

シケインでは砂時計のように道が狭くなるので、一気にスローダウンし、先に抜けた選手がスピードを上げれば、後方は完全に遅れを取るので、追いつくのに消耗してしまう。

ヘアピンでは皆が皆イン側に突っ込むので、イン側は選手で詰まるし、そんな中で落車に巻き込まれたら最後。

仕掛けるとしたらシケインかヘアピンしかないと感じました。

しかしシケインで仕掛けると、残り5.5kmを逃げなければならず、逃げのグループが数人いれば何とかなるが、一人では逃げ切れない可能性が高い。

ヘアピンからであれば、何とか足を使い切る前にゴールラインには届きそう・・・

だがインからは抜けられないから、必然的にアウトラインからのアタックになる。

そうすると回転半径が違う分だけ、余分に加速しないと、すぐに集団に捕らえられるような『小便アタック』に終わる可能性が高くなる。

つまり簡単に説明すると、集団のスピードが時速45kmなら、通常60km以上でアタックを仕掛けるところを、70km以上のスピードまで一瞬で加速しないと、集団が追うのを諦めるくらいのアタックを決められないのである。

ヘアピンで一度は時速35kmくらいまで減速した状態から、たった50m足らずの距離で倍以上のスピードまで加速?

それは完璧な進入角度で目一杯減速を抑えつつ、クリップポイントを手前に持ってこなければ絶対無理な課題で、周りの選手にラインを塞がれたら一巻の終わりである。

しかし他に決定的なポイントが見つからないまま2周目へ・・・

勇気を出してシケインで仕掛けるか、運とタイミングに期待してヘアピンで仕掛けるか・・・

それともゴールまで温存して、最終コーナーの立ち上がりから一気に刺すか・・・

しかし2周目のヘアピンでは・・・ヘアピン出口でコーナーを抜けた選手たちが道一杯に散開するので、抜け出すラインを見つけるのが困難だという見解となり、動きが出る3周目では、きっと同じ考えの選手が縦横無尽にラインを取るだろうから、それよりも先に仕掛けないと無理だという結論に至った。

そして3周目に入るホームストレート・・・集団のスピードが緩まった。

「えっ?何故?」

誰かが飛び出すのを伺っているのか?

それともゴールスプリントに向けて、嵐の前の静けさなのか?

200人以上の選手が見ている前で単独アタックを決める勇気は起きない・・・

しかしそこで2人組の選手が抜け出した。

「あっ!そうだ。これを利用して逃げを追えば、集団が縦一列に伸びるから、道幅に対する人口密度は少なくなる。そうすればヘアピンで刺し返して一気に逃げればそれでいい!」

そんな作戦が閃いた僕は大声で・・・

「追え!追え~っ!」って号令をかけたんです。

ポイントのかかったクリテリウムでは、こんな掛け声は当たり前なんですけど・・・

し~ん・・・。

「はあ?なんで誰も追わへんの?お前らレースしに来とんやろ?やる気あんのかボケ~!」

次の瞬間には僕は2人を追って集団から飛び出していました。

積極的な動きのないレースほどつまらないものはありません!

「どいつもこいつもヘタレばかりかい!」って大声で吐き捨て、シケインまでの上りを加速していました。

面白くないレースに対する怒りのアタックです。

そしてシケインまで上り詰めたところで逃げた2人に合流。

「3人でならここからでも逃げ切れる!一緒に逃げよう!」

そう声をかけたのですが・・・

「えっ?行くんやったら行ってくれていいよ。俺らちょっと前に出てみたかっただけやから・・・」

「はあ?何寝言いうてんねん!だったらしょうもない小便アタック決めんなや!くそっ、もうええわ!」

僕の怒りはMAXでした。

後ろを振り向いたら集団にはまだ動きがなくて・・・

「これは行くしかない!」

そして単独逃げを決めたんです。

130Rを抜けた時に振り向いたら案の定、集団はシケインで詰まっていました。

そこからはがむしゃらにペダルを回し、バックストレッチの上りもずっと時速55kmをキープして・・・

その際1組目で出走していた河合君と合流しました。

集団のスピードについていけない選手たちがどんどん遅れてきていたのです。

ここで僕が抜けば彼らは失格となり、完走しても記録が残りません。

「どうや?俺を引く元気は残ってるか?」

「いや!もう駄目や。使い切ったわ!」

「そうか。じゃあ悪いけど行かせてもらうな!」

そうしてスプーンカーブに差し掛かった時、僕の組の集団はまだバックストレッチの上りに差し掛かるところで・・・

「いけるかもしれへん。この逃げ決めて勝てたら最高やん?」

そう意識し始めました。

しかしスプーンカーブを抜けてからが苦しいのです。

向かい風の洗礼が待っています。

それまで50kmオーバーのスピードで逃げていた僕が、今度はどんなに踏ん張っても42km程度のスピードしか出せない・・・

そうなると集団は強いのです。

少しでもロスを削って、1mでも2mでも追い詰められる距離を抑えないと、一度勢いのついた集団は津波のように押し寄せてきます。

ヘアピンに差し掛かったあたりで向かい風にスタミナを吸い尽くされた僕は、危機を感じ始める。

それでもまだ逃げ切る事を諦めていない。

しかしS字カーブに入った頃、もう射程圏内に捉えられたっていう感覚になりました。

迫ってくる音で判るんです。

もう振り返ってる暇はない。

力の限り逃げるしかない!

でも残り1kmの看板を過ぎた頃には、僕は集団の先頭グループに並ばれました。

そして押し寄せる波に飲まれながら最終コーナー(第1コーナー)を曲がり、ゴールスプリントをする余力がないまま同着ゴール。

センタースタンドに木霊するくらいの大声で「ちくしょ~!」って叫び、ハンドルを何度も叩きながらのゴールでした。

もう少し冷静にペース配分をして走っていたら逃げ切れていたかも知れない。

それ以上に最後まで温存してゴールスプリントに持ち込んでいたら、勝てていたかも知れない。

でもあそこで逃げたお陰で集団は縦一列に割れて、ようやくレースらしい形になった。

勝負には負けたけど完全燃焼できた。



その時の僕の想いが負けた2年生とシンクロしていて・・・

それでジ~ンとしてしまった訳です。

あっ!

いつも文章が長いというクレームを頂くので、一度ここで切ります(笑)

2014年1月18日土曜日

震災から19回目の1月17日・・・僕の自転車歴も19年か~

数えてもう20年になるんですね。

あの震災が僕の人生にとって丁度中間地点になってしまいました。

19年の年月は永かったようであっと言う間でしたね。

よく考えたら僕が本格的に、自転車競技へのめり込み始めたのも震災前後からでした。



元々僕は子供の頃からオフロードが好きで、高校2年の時にバイト代で買ったMTBからは本格的にシングルトラック(バイク1台位しか通れないような険しい山道)を走るようになり・・・

暇があれば山や広い公園で、ウィリーやジャックナイフターンを練習していたものです。

100段くらいの階段を自転車から降りずに、ホッピングで上り切った頃には、トライアルの選手には遥かに及ばないけど、バイクをコントロールするセンスはかなり身についた実感がありました。

この頃はまだロードバイクに興味が無くて・・・

というより「舗装された道路を走るだけの自転車・・・つまり荒地は走れない!」っていう固定観念が、ロードバイクを物足りないものとして捉えていたんですね。

「MTBならどんな道でも走れるし、舗装路だってセッティング次第ではロードにも負けない!」

それが当時の僕の価値観でした。

危険な道をアホみたいなスピードで走り抜けるスリルも、当時の僕にはたまらなかったですね。



誰もがやらないような事・・・

とにかく危険なこと、そして常識的にも体力的にも人間離れしているもの、苦痛以外の何ものでもないこと・・・それらに挑む事。

それこそが価値ある事だって思っていました。

当時の僕には『前人未到』とか『日本人初』とかって言葉が、蜜のようなものだったのです。



高校生の頃、同級生とは良く自転車で釣りに行っていたんですが、MTBのトップチューブにロッド(釣竿)を固定して、リュックサックにタックルボックスとリールを入れて背負い・・・

兵庫区の自宅から白川峠を上って友人宅まで行き、そこでメンバー全員が合流してから西神中央を抜け、加古郡稲美町や小野、加古川方面までブラックバスを釣りに行っていたのですが、その時でさえ常に平均時速や最高時速を意識して、毎回往復100km前後の距離を通っていたんですね。

そうしていくうちに小学生の頃に初めて知った『ツール・ド・フランス』の事を思い出して、深く知りたいって思うようになったんですよ。

当時の僕の夢は「F-1レーサーになって、セナとプロストの引退後に新チャンピオンになるであろうミハエル・シューマッハをぶっちぎる事。」、「パリ・ダカールラリーに出場して日本人初のチャンピオンになる事。」、「ツール・ド・フランスに日本人として初めて出場して完走する事。」

F-1レーサーへの夢は・・・高校卒業後すぐに免許を取り、大学の自動車競技部でジムカーナやサンデーレースから始めたかったものの、親の仕送りなどが一切無い生活だったので、大学の受験費用や入学金を工面するだけでも大変で、結局浪人してホテルマンの仕事をし、大学に行く為の費用を貯める生活を始めるようになって、教習所どころではなくなった時点で諦めてしまい・・・

ツール・ド・フランスは96年に、現インターマックス代表である今中大介氏が近代ツールとしては初の日本人参加選手として、完走こそできなかったものの、3週間の行程の2週間まで走る健闘をみせ、僕の夢における初参加という肩書きは幻へと消える。

パリ・ダカールラリーも後に三菱パジェロの篠塚健次郎氏が、日本人として初めてのチャンピオンに輝き、僕がパリダカを目指す理由が無くなってしまう。

歳を重ねる毎に夢のいくつかは崩れていきましたが・・・

それでも震災直後に雑誌のサイクルスポーツにて呼びかけ、集まった自転車仲間と立ち上げたクラブチームで、本格的に自転車競技を始めた僕は、ツール・ド・フランスやジロ・デ・イタリアなどのヨーロッパのロードレースを、知れば知るほどにどっぷりはまっていきました。

グレッグ・レモンのベルナール・イノーとの師弟対決や、ローラン・フィニヨンとの激闘。

ミゲール・インデュラインのツール・ド・フランス5連覇。

インデュラインが絶対王者なのかといえば、それは全くの間違いで、当時は誰が頂点に立ってもおかしくない程、自転車レース界はスター選手に溢れていた。

95年ジロを制したトニー・ロミンゲルの圧倒的な走りを観たら、誰だって震えが止まらなくなるだろう。

レースを観る者を飽きさせないヤン・スフォラーダや、マリアノ・ピッコリの放つアタックの応酬。

山岳で果敢に攻めるリシャール・ビランクに、急勾配の上り坂をロケットのように上るマルコ・パンターニ。

99年ジロでチェーンが外れるトラブルに見舞われ、ラストの山岳で先頭グループに逃げられたパンターニが、尋常じゃないスピードで全員をごぼう抜きにしたあの走りは、思い出すだけでも鳥肌が立つ。

イタリアの旧市街。石畳の道で行なわれた個人タイムトライアルにおいて、どんな強豪選手もトップスピード時速65km程度しか出せない中、エフゲニー・ベルツィンとマリオ・チッポリーニだけが時速73kmで走っていたというありえない事実。

非公式になったとはいえ、アワーレコードで1時間に56.375kmの距離を走破したクリス・ボードマンのスピードは、1kmあたりの平均タイムが1分03秒8という驚異的なペースである。

このオリンピック1000mタイムトライアルのメダリスト並みのスピードを、1時間も持続できる事がどれだけすごい事か解りますか?

ちなみにS級競輪選手のトップクラスでも、1kmを全力で1分05秒以上かかるって考えたら、簡単にそのレベルが想像できますよね?

そしてそんなボードマンでさえツール・ド・フランスでは中堅レベルの走りしかできなかった。

それだけ選手全体のレベルが高かった、80年代~90年代のロードレース。

現代の知識だけ立派で頭でっかちな『自称ローディー』は、偉そうに御託を並べる前に、偉大な先人たちの走りに本物を学べと言いたい。

そんなすごいレースばかり観てロードの世界に足を踏み入れた僕は、震災の傷跡残る神戸で当時、プロを目指して日々トレーニングと走りの研究をしていたのです。

そう・・・1994~2001年までの僕は苦学生ながらも世界を夢見て、限られた時間と予算の狭間で必死にもがいていました。

それが僕にとっての青春でしたね。

受験とバイト、震災に自転車、そして多くの挫折。

ホント華々しい青春でした(笑)

ちなみに今も自転車レースでいい走りをしたいって目標は捨てていませんし、車のレーサーとして成功したい夢も捨てていません。

実は小学生の頃から心に決めている事があります。

自分の死に方について・・・

アホな事を言うなと思われるかも知れませんが・・・

僕は人助けをして死ぬか、車か自転車で限界ギリギリの走りの果てに死ぬか。

とにかく完全燃焼しきって死ぬ事を本望だと思っています。

震災からの19年。

ずっと中途半端な自分が嫌いで堪らなかった。

世の中には尊敬すべき、目指すべき素晴らしい人がたくさんいます。

そんな人を目指し、更に上を目指し、際限なくどんどんレベルアップし、そして燃え尽きたい。

いい意味で燃え尽きてみたい。

そしてそんな自分の背中を見て育った若者が、更に上を目指して頑張る未来。

それが僕の理想の未来です。


日々無難に生きようとする自分が死ぬほど嫌いだ。

チャレンジすることをしないで何の人生か?必死に生きなくて生きている意味があるのか?


この1月17日が来るといつも考えさせられる。

インターマックス取り扱い自転車導入!?

先日新しくロードを作りたいとおっしゃるお客様がお越しになり・・・

結論からいうと、KUOTAの『キラル』かAVEDIOの『ペガサス』のどちらかで決めたいという話になりまして・・・。

実は昨年秋にわざわざ愛媛県からご来店頂いたお客様も『キラル』を気にされていて、当店で取り扱いする事になり、且つ僕が試乗してみて間違いないって話であれば、是非作って欲しいと言って下さっております。

しかしインターマックスさんはなかなか最新のロードバイクを試乗車にラインナップしない業者さんでして・・・

先日も東京の日比谷で試乗会をしていたそうなのですが、『キラル』は展示のみという、明らかに別格な扱いでした。

KUOTAのラインナップの中でも決してフラッグシップモデルって訳ではないにも関わらず、未だシークレットな扱いになっているのが非常に気になります。

あっ!でもKUOTAのフレームってどれもフラッグシップモデル相当の扱いというか・・・

入門モデルのコルサでさえ、そこらの適当に作ったフレームとは訳が違う!というポリシーのようなものを感じます。

キラル・・・気になりますね。

ただカーボンバイクって割れる恐れがあるので、取り扱いに神経を使うのがたまにきずです(汗)

そう思うと金属フレームの軽くて腰の強いやつが魅力的に思えます。

もし当店で2014年KUOTAのコルサ(フルカーボン105モデル)の完成車を189000円で販売しますって言ったら・・・買ってくれる人いるかな?


ちなみにティアグラモデルのコルサなら136500円で販売します!

ただし先着3名まで!

だって・・・利益無いもん(涙)

キラルもアルテグラ完成車が定価40万円とありますが・・・

ホイールがアクシウムなんですよね?

なのでSFidaのカーボンディープリムホイールで組み立てて42万円~だったら魅力を感じていただけますか?

デュラエース仕様でも50万円~で承ります!
写真のホイールはヴィジョンのホイールなので、実際にはこれがSFidaに変わるイメージです。

あと、ハンドルとステム、タイヤとサドルはお任せになります。

予算次第で更にグレードアップ可能ですので、是非一度ご相談くださいませ!!



そして同時にAVADIOの『ペガサス』ですが・・・。

こちらも先着2名様に限りアルテグラ11速、SFidaホイール、ネーム入れサービス込みで45万円~で承ります。

デュラエース仕様は53万円~です!

いずれもペダルレス仕様なので、LOOKまたはシマノのビンディングペダルを中心に、必要であればお申し付け下さい。

ちなみに写真のカンパニョーロ・スーパーレコード11速にボラウルトラ2のホイールがセットされたものであれば、90万円~で組み立て可能です!

2014年1月16日木曜日

1月12日(日)ポタリング!人参リベンジ成功!

この日はN様2号が珍しく連日のご参加!

更にH野様と、女性のY崎様、留美さんと5人でのスタートとなりました。

そういえばO様親子とK様も来るって話だったんですけど・・・

O様は先日のブログを見て、オイスターチャウダーが食べたいっておっしゃっていたので、今回はシンズバーガーに行くつもりでスタンバっていました。

K様もその話を聞いて、またプリンスバーガーでも食べるような感じだったのですが・・・

両組ともお休みとなり。

「これはあれだ!またリベンジに燃えろという天の思し召しに違いない!」

そういって僕は再び『カフェレストラン人参』を目指そうとする。

「今日はさすがに開いてるとは思いますが・・・諦めないっすね店長?」とN様2号。

はい!

やるといったら必ずやる!行くと行ったら必ず行く!ロックオンした獲物は逃さない!

それが僕の『俺流』です。

今回はJR線の高架下トンネルを楽しむ・・・題して〔『走行中頭上注意!っていうか自転車は押して歩きましょうね!』と怒られる作戦〕といった感じでしょうか?

地元民のN様2号が「店長!例え人通りが無くても、ここは押さなあきませんよ!」って、そう言いたげな空気で僕を見ていたので名付けたミッションです(汗)

以後気をつけます。

そして人参に行きました。他の団体が来ないかを注意しながら、速やかにワイヤーロックで自転車を固定し・・・

5人で座れるスペース・・・空いてました。

前回の失敗を踏襲して、今回は間違いないモーニングを・・・。

そんな気持ちでH野様と同じベーコンエッグのセットを注文!

しかしここで問題が・・・

僕とH野様だけが同じメニューを頼んだのですが、各々のプレートに乗っているフルーツが違うのである!

僕がカットしたパイナップルで、H野様がバレンシアオレンジ。

「これってどう解釈すればいいのでしょうか?」

本来優劣があってはならない同じメニューにおいて、この違いは一体?

ウエイトレスさんの気分で、お客様に合わせて振り分けるシステムなのか?

僕もH野様もなまじっか、まだ綺麗なおねえさんに弱い年頃の男です。

「どっちがどうなんでしょう?」

「ホンマですね~。」

その横でY崎様2号とN様2号が「しょうもな~。」って顔で呆れていました(笑)

しかしそんな事より、更に問題が2つございまして・・・

1つ目はH野様が肝心なベーコンエッグの黄身とベーコンの部分を落としてしまい、僕は思わず・・・

「H野さん!3秒ルールです!僕は何も見てなかったので気にせずいったって下さい!」と悪魔の囁きを・・・

その言葉に一瞬H野様が乗りそうになったのですが、ここで思わぬ邪魔が・・・

「そういえばアメリカに3秒ルールについて真剣に論文を書いた女子大生がいたんですが・・・」と、N様2号が語り始めたのです。

それによると一瞬でも落としたものには、確実に雑菌が付いてしまうので、基本的にアウトな物はアウトという事らしいのです。

N様2号!貴方は鬼です!(笑)

そしてもう一つは・・・意外とここって客層が悪いな~って感じたこと。

ここって人気があるみたいで、常に賑わっているのですが・・・

恐らくウエイトレスさんが忙しさのあまり、箸かナイフ&フォークの添え付けを忘れていたんでしょうね、僕の後ろの席から大きな声で・・・

「おい!これどうやって食べたらええんや?」という声が連呼。

そんな意地の悪い聞き方ありますか?

「すみません!お箸お願いできますか?」って言えばいいのに、可愛気の無いジジイだ!

ちょうどお店に戻る時間も迫っていたので、茶が不味くなる前に帰りましょうって話になり退席。

すると今度は入り口付近の席に座っていた老人が「奥の席空いたから移るで~!」っと移動を開始した。

どんだけ縦横無尽よここの人たちは!?

N様2号曰く「JR沿線は意外と柄がよろしくないもので・・・」との事らしいが。

いや・・・ウエイトレスさんのレベルも高く、珈琲及びモーニングの味も申し分ないお店だけに、一部の無礼なお客様がご利用になっている実態は、いささか残念でならないと感じました。

でも多分・・・

また人参にお茶しに行きます。(笑)

2014年1月15日水曜日

第2回『TEAM EURO』走行会!R428再び。

1月11日(土)の走行会は・・・

僕とO様1号、I井様、S木様(旧S様1号)、N様2号、H川様、そして復活した中富君の7名でスタート。

M嬢は体調不良でお休みだそうです。

あとイニシャルSのメンバーさんが随分と増えましたので、S様に限りは1号とか2号をやめようかと・・・

N様に関しては1号と2号は永久欠番なので引き続き・・・(笑)

あとO様のような1号も2号もO田様になってしまう場合も引き続き・・・。

最近誰が1号で2号なのか・・・僕でさえ判らなくなってきました(苦笑)



そして僕は今回も有馬街道(国道428号線)を走るつもりでいました。


理由1・・・僕自身体調が悪かった事もあり、前回よりペースを抑えて走ってもタイムを落とさずに走れるかどうかを検証したかった。

理由2・・・O様1号にも一度走ってもらいたいコースだと思っていたので、M嬢の不参加であるこの日が最大のチャンスであった。


そんな訳で今回は迷わず平野交差点までまっしぐら!

今回は中富君とO様1号、S木様もいるので、H川様も安心して走れると見込んでいました。

強いて言うならS木様が退院間もない病み上がりっていう事だけが心配でしたが・・・


この日は有馬街道の交通量が前の週より多かったので、祇園神社までは歩道を徐行で走る。

旧道へ入ったところから僕とN様2号が先行。

そしてI井様が続いて上ってくる感じで、あとは・・・

O様1号が久々にいい走りを見せてます!

しばらくはNEWバイクのリズムが掴めていなかったのか、ようやくスピードが戻ってきた感じでした。

H川様はどうも不調気味で、僕の見立てではO様1号と同じくらいには上って来られるイメージでしたが、この日はやや遅れていました。

そしてS木様は漫画『弱虫ペダル』の田所先輩のようなスプリンタータイプなので、上りが大の苦手なんです。

それでも初めて走行会に参加したときに再度山を上ったように、中富君のアシストについて頑張ってました。

病み上がりでもガッツはあります!

N様2号は全然余裕でしたが、初めて走るコースという事もあって、不調でペースを6割程度に抑えてる僕に付き合って走ってくれました。

なので僕は終始N様2号と駄弁りながら楽しく上っていく事ができました。

しかし一応タイムは前回くらいに走りたかったので、ラストの登坂はペースを上げようとしたのですが、その際はギヤの選択を誤って、いまいちスピードに乗せる事ができず・・・

また大型車に行く手を阻まれた関係もあって、24分ジャストでゴール!

さすがに消化不良で叫びそうになりました(笑)

せめてラストくらいは気持ちよく力を出し切りたかったです。

N様2号にも・・・

「店長あれってギヤを掛けたんですか?何か不発やった感じが・・・」と言われてしまい、ちょっと悔しかったかも(苦笑)



最近本当に疲労が慢性化してきてて、先日も荷物を送るのに送り状を書いた際、1枚の送り状を書いただけでボールペンを握ってられないくらい酷い腱鞘炎で・・・

作業してても気を抜くと工具を落としてしまうくらい握力が持続しないんです。

右肩も一向に回復する兆しがありませんし、毎日お店に遊びに来て騒ぐ小中学生の相手をするのも苦痛になってきています(汗)

右肩の痛みはほとんど激痛ってレベルに達しているんですよ。

まあ走行会で普通に走る分には我慢できるので、それほど気にはしていませんが、如何せん回復しないのが厄介で・・・

このまま疲れが抜けないままだと、いつまで経っても速く走れないし、自分の思うような走りができないと思うんですね。

どうやったらこの凝り固まった身体の疲れを抜くことができるんでしょうか?

ストレッチを怠ってきた自分が悪いのかも知れませんが、最近はそのストレッチをしたくても、激痛でできないんです。

そこまで疲労を蓄積させた事がこれまで無かったので、今すごく不安になっています。

今年こそは少しずつレースにもエントリーしたい・・・なんて思っている僕ですが、正直かなり深刻な状況なんですよ。

なのでしばらくは走行会も本気では走らないよう、回復走に徹しようと思っていますので、どうかご協力をお願いします。

できたら中富君に先頭を任せたいのですが・・・

また道に迷うと厄介ですので(笑)

お手数かけます。



それにしても北区は寒かったです。

寒さに弱い中富君はガクガクブルブルって・・・

スタッフなんだからしっかりしろ!

でも下りは本当に寒かったんですよ!!

小部トンネルを抜ける時が暖かくて、「排気ガスの臭いなんてどうでもいい!このまま下までトンネルだったらいいのに!」

そう思えるくらい外は寒かったんです。

後方のメンバー曰く、中富君は終始「あかん!寒い!」を連呼していたらしく・・・

背中の肉離れが再発しない事を祈るばかりでした。

本人の言い分を要訳すると、身体が温まるペースで走れなかったから余計に寒かった・・・そうなので、次回は思い切り走らせてやって下さい。

それでもまだ寒いって文句を言っていたらガツンと言って頂いて結構です(笑)

2014年1月13日月曜日

年始いろいろ・・・十日えびすにサーベロ試乗車!?

年始は思いの他忙しい2日間でした。

最近ご無沙汰だったチームのメンバーさんもお越しになったり・・・

あっ!

そういえばY崎様1号が無事大学に合格しました!

彼は飛行機のパイロットを目指して進路を考えていたので、すごく嬉しい報告でした。

春からは九州へ行ってしまう為、そうなると当分は一緒に走れなくなってしまうので、なんだか寂しくもあります。

なので春までの期間だけでも、また走行会に参加して頂きたいなと思っております。

そしてY崎様1号が卒業してパイロットになる頃までには、当店もデ・ローザを取り扱えるようになり・・・

Y崎様1号の為にチタニオを組み上げて差し上げたいと思っています!


そして先日『えべっさん』に行ってきました。

まずは昨年に買った熊手を返納しに行く必要があったので、9日の宵えびすにスタッフ3人で参拝に行きました。

新しい熊手は2回りくらい大きいものを選び、それもできるだけ賑わっているお店を吟味して買いました。

僕は神とか仏とかは信じない主義ですが、そう言いながらも実は結構験を担いでしまう性格なんですよね(笑)

僕がレースに頻繁に出ていた頃は、レース当日の朝にひげを剃らないとか・・・

これはドイツ人のヤン・ウルリッヒが、1997年のツール・ド・フランスを制覇した際の事。彼はマイヨジョーヌ(リーダージャージ)を手にしたその日からひげを剃るのを止め、最終日の前日にユーロ・ディズニーで行われた個人タイムトライアルでは、ボーボーに伸びた無精ひげのまま超人的な走りで優勝を決定的なものにしたのです。

「旧東ドイツではひげを剃ると勝負に負けるというジンクスがあるからなんだ・・・」

そんな彼の言葉を、まったく関係ない日本人の僕が真に受けて実践していたという・・・

年末30日にお店の片付けをしていた僕が、夜友人との約束で北区に向かう際、携帯電話につけているお守りのストラップ(五鈷杵と呼ばれる金剛杵。またの名をヴァジュラ)の刃が3本も折れていて・・・

既に1本折れていた事を含めると、残り4本しかない状態になっていて、「これは何かの予兆なのか?それとも既に災いの身代わりになってくれたのか?」と、すごく不安になっていたんですよ。

そうしたら直後の事故でしょ?

嫌な予感を気にしながら身構えて走っていたので、大事故にはならなかったけど・・・

意外にジンクスとか験担ぎって大事なんですよ。

熊手を飾り、1億円札も逆さまにして・・・

あっ!そういえば今まで気にしてなかったけど、向きってどうなんだろう?

調べると神棚同様、南向きか東向きが正しいらしい。

「駄目だ!設置しなおさなきゃ!」(汗)

ちなみに僕はえべっさんの期間である3日間とも参拝し、一番大きなマグロ目がけてお賽銭を投げ込んできました。



ところで先日シンズバーガーの店長が尋ねて来てくれました!

わざわざ差し入れまでご用意して頂き、大変恐縮です。

そういえば元旦だか2日に、中富君とN様2号が各々でシンズバーガーに行っていたそうで、N様2号の通勤用自転車にはでかでかとシンズのステッカーが貼ってありました(笑)

そして僕も元旦に行っていたんですよ。

それも年が明けたばかりの夜中2時頃に・・・。

お店が灘区なんで、初詣は灘区の神社に・・・と思って、いろいろ考えて厳島神社にしたんです。

僕に関わるものって、なぜか平家ゆかりのものが多いので。

おみくじは中吉でしたがまずまずの内容で、その帰りに立ち寄りました。

シンズは年末年始も休まず、そしてほとんど寝ずに頑張ってらっしゃいました!

お互いサラリーマン時代に散々苦労してきた事もあって、すごく応援したくなるんですよね。

またハンバーガー食べに行きます!!


あとH川様からの横浜土産も美味しかったです!

3人とも絶賛のマロンケーキでした。


最後に東商会さんがご来店くださって・・・

ようやく僕のTOKENのホイールが直って帰ってきました!

チラミックボールベアリングのリテーナーが壊れやすいからなのか・・・

僕のトルクについて来れなかったのか、フリーボディのシールドベアリング内のリテーナーが粉々に砕けた上で、通常は割れる事のないといわれるチラミックベアリングが真っ二つになっていたそうで・・・

その上ラチェットのバネもよく破損するので、今回は改良部品で再生してもらう事になっていたのですよ。

これでまた気持ちよく走れるようになります。

今はシマノのWH-7701という、シマノが初めて完組みホイールを出した当初のモデルを使っているのですが、これはこれで悪くないしよく頑張ってくれているものの、さすがにスポークテンションがへたってきているのを最近ヒシヒシと感じます。

毎度ダンシングでギヤをかける度に、「ブワ~ン!ブワ~ン!」と悲鳴をあげるのです。

それもあって僕には剛性の高い、ガチガチのホイールが必要なんですよね。

またTOKENには、今回破損したベアリング類を送りつけてくれたそうで、そういった事例をもとに、更なる秀逸なパーツを開発してくれる事に期待します!

そして東商会担当者のM山さんが、こんなものを持って来てくれました・・・
新型のサーベロS2です。

「試乗車です・・・でもすぐに持って帰ります。」

「えっ?何それ~!」

「いや・・・ちょっとあちこちに宣伝で乗ってもらいたい関係で・・・」

「サーベロの試乗車、ずっと待ってるんですよ~!」

「またR3とかが空きが出たら必ず・・・とりあえずこれは今乗って頂けますか?」

という訳で乗りました。

見た目はTTバイクか?って言うくらいのエアロ形状が際立つSシリーズですが・・・

とりあえず走り終えて店に戻るとM山さんが、「ど、どうでした?」って聞いてきたのですが、思わず「寒い!」と答えてしまいました。(笑)

だって本当に寒い日だったんですよ?

いや、まあ本題ですけど・・・

S2いいっすね!

形状からは想像がつかないくらい乗り心地がいい!!

テールが一切跳ねないから、安心して踏んでいける感じ。

ホイールがシマノのR501じゃなかったら、もっといいと感じられるはず!

「これは是非これからロードを始めたいっていう初心者の方に薦めたい乗り味ですね!」

「そうでしょう?」

「で、この105の付いた状態でおいくら?」

「完成車で39万円の税別です。」

「高い!それは高すぎる!やっぱりサーベロ価格やな~。」

「サーベロの良さを理解してくれる人じゃないと解らない価格ではあります。」

「まあフレームにかけているコストはハンパ無いって事なんでしょ?」

「はい!そういう事なんです。」

という訳で、サーベロのブランドイメージが好きで、乗り味は優しい自転車がいいって考えている方には間違いないフレームだと思います。

しかし正直・・・上位グレードのS3よりもフロントフォークとフレームの相性がいいと思うし、S2は買いだと言いたいのですが、それでも105完成車で40万円オーバーは、世間的に見ると高いです。

どんな人がサーベロを愛してくれるんだろう?

当店のお客様の中には、残念ながらまだサーベロマニア、またはその候補生はおられません。

うちもそろそろ本気でスポーツ車にウエイトをシフトしていきたいので・・・

サーベロも頑張って売れるようになっていきたいです。

とりあえずR3の試乗車を早く貸してくださ~い!!

1月5日(日)ポタリング!リベンジならず・・・

この日は僕と留美さん、N様2号、H野様の4名で走りました。

西灘からPROKUさん(同じく灘区にある自転車屋さん)のある大石駅方面へ、普段なら通る事もない裏通りをふらりと走り・・・

僕が目指すは『カフェレストラン人参』!

年末22日に行って自転車に鍵をかけている間に、団体の観光客に先を越されて満席になったあのお店です!

まだ引きずっていました(笑)

N様2号曰くチェーン店らしいので、それほど珍しくもないのかも知れませんが・・・

賑わっているお店なら間違いないっていう理由と、ウェイトレスのおねえさんが美女揃いっていうのは、そこに珈琲を飲みに行く動機としては十分なんじゃないかと・・・(笑)

しかし行く道中、N様2号が何やら煮え切らない感じで・・・

「う~ん。しかし今日行って開いているかどうか・・・ちょっと厳しいような。」

ちょっと心配になりましたが、とにかく向かう。



「うわっ!ホンマに休んでるわ。」

まだ正月休みでした(涙)



「店長嫌われてますね~。」

「ホンマですね~。」

改めてリベンジするしかありません。
 



「で、どこでモーニングいっときます?」

「こんな大きなお店で正月休みやと、他も大丈夫なん?って思えてきますね。」


すると灘区の地元民であるN様2号より提案・・・

「新在家駅前にわりと良さげな喫茶がありますよ!確実に開いているかは判りませんが・・・」


で行ってみたら開いてました!

『古時計』っていう喫茶店。

隣のビルが無くなって更地になっているからか・・・

ちょっと怪しさを醸し出しています(笑)

でも中はとっても居心地の良いお店です。

しかしモーニングの価格は比較的高めで・・・

なかなか贅沢な感じでした。

その中に『たまごセット』が350円とあったので、僕はそれを選択。

その際に店員さんから「ゆでたまごになりますが、結構なんですか?」と聞かれ・・・

えっ?なんでそんな事をわざわざ聞くの?って思った訳ですよ。

他のメンバーは皆さんサンドセットなどを注文していたので、特に心配はなかったのですが・・・

僕のたまごセットに関しては「もしかしたらトースト無しで、たまごと珈琲だけなんじゃない?」って憶測が過ぎった訳なんです。

僕はゆでたまごとトーストと珈琲さえあれば良かったのですが、悪い予感は的中!(笑)

みんなに笑われてしまいました!

「店長!それじゃあお腹が満たされませんでしょ?」(笑)

「いいんです。ゆでたまごさえあれば・・・」

はい。負け惜しみです。


自分の選択を後悔しつつ・・・

しかしゆでたまごに珈琲、とても美味しゅう頂きました。



皆さんは随分とゴージャスなモーニングで・・・次回は是非僕も贅沢モーニングしたいです!

それにしてもH野様のお話・・・

いや、メッチャ楽しいっすね(笑)

主に飛騨に帰郷したK合様の話題だったんですけど・・・

やっぱりK合様って天然だったみたいです(笑)

H野様のご友人(主にH安様のお店のお客様方)が、近々高鷲スノーパークにスキー及びスノボに行くそうです。

僕も2月くらいに行きたいな~って思っています。

その際はK合様!

一緒に滑らなくてもいいので、レストランでお仕事頑張って下さい!

そしてお昼ご飯の時はよろしくお願い致します!!

本物の『飛騨牛』メニューを楽しみにしておりますので(笑)



そしてモーニングを食べ終えた一行は、中富君が出勤しないうちにお店に戻ろう!ってダッシュで帰還したのでした。

2014年度 第1回走行会! 走り初め!

1月4日(土)

K様、I井様、M様、H川様、O様2号の5名が参加し、計6名でスタート!

中富君はまだ背中の調子が完璧ではないので、引き続き療養中。

「さあ走り初め・・・どうしよっかな~。」

そうなんです。

正月にして寒さはそれほどでもなかったんですが・・・

K様とI様は上りがかなり速いし・・・

M様も僕とほぼ変わらないペースで上れる方ですし・・・

O様2号も上りに関して、今ではチーム内でも中堅以上の実力を持っています。

H川様は最近新しく加わって間もないメンバーですので、この面子でいきなり上りの険しいコースは選択できないな~っと思った訳です。

勿論これまで一緒に走らせていただいた上で、H川様は思いの他ガッツがあって、『上りも平地も走れるお父さん』って言う事は判っているのですが・・・

ただこの面子だと、O様2号でさえ遥か後方へ置いていかれるような展開になるのは、何となく予想できるので・・・とにかくルート選びに10分程悩みました。

悩んでるうちに時間がいたずらに経過するのが嫌で、とりあえず港沿いに西へ移動しながら悩みました。

いやね、東側って激坂しか選択肢にないでしょ?

西側なら再度山より難易度の低い上りや峠しかないので、何とかこのメンバーでもタイム差を作らずに上れるかな~って思ったんですね。

それで出てきた結論が・・・

「あっ!有馬街道(国道428号)にしよう!」ってなったのです。

メンバーには有馬街道を嫌っている、または避けている方が多く、僕もこれまでずっと遠慮してきたんですよ。

しかし有馬街道の上りって、ヒルクライムの入門コースとしては、本当に優れたルートで、僕にとっても自転車人生で最初にぶち当たった峠が、有馬街道の小部峠ってくらい、縁の深いルートなんです。

今から21年以上前になりますが・・・

3歳~9歳まで北区で暮らしていた僕にとって、友人も多く暮らす北区は行く頻度も高かった訳ですよ。

しかし神戸電鉄って運賃が高いし遅いでしょ?(好きな電車なんですけどね)

17歳になったある時「自転車で北区って行けないの?」って思った訳ですよ。

それでバイト代を叩いて買ったブリヂストンのワイルドウエストってMTB(入門モデルなのでサスペンションも無かった)で、平野の交差点から行ける所まで上ってみようって覚悟を決めたのが始まり。

幼少の頃、車に乗せられて有馬街道を上って行った時の記憶を頼りに、平野を出発していきなり驚きが・・・

そうなんです。

僕の子供の頃、有馬街道は対面一車線区間の多い、狭く事故の多い道路だったんです。

それがいつの間にか新道が整備されていて、随分と車も走りやすくなったというか・・・

お陰で一部区間、現役で残っている旧道区間を走る事で、幾分か自転車でも走りやすくなっているのであります。

しかし道を把握していない当時の僕は、少々おっかなびっくりな感じで、感だけに頼って上って行ったのを覚えています。

初めて有馬街道を自転車で上った時は、天王ダム横の小部トンネルを抜けるのが恐くて・・・

長さ482mのトンネルなんですが、そこまでの上りで体力を使い切った身体で抜けるには、狭いし暗いし、排気ガス臭いし・・・で、倍以上の長さに感じてしまうんですよ。

なので申し訳程度に作られている路肩の歩道を、小さくなって自転車を押して歩きました。

あの永遠に続くんじゃないか?って思えるくらい長いトンネルを抜けたときの清々しさといったらなかったですね(笑)

そこから再び自転車に乗って小部峠まで上り・・・

初めてチャレンジした時のタイムは36分だったと記憶しています。

ちなみにJR兵庫駅の北側(羽坂通3丁目)の当時の自宅からスタートし、JRの高架沿いに東川崎町の交差点付近から国道428号に合流して上った(走行距離9km)時のタイムなので、トンネル区間を歩いた事も加味すると、初めてにしては頑張った方だと思います(笑)

このルートは前半3kmは平地のトレーニングで、残る6km(平野~小部峠)が上りのトレーニングになるので、旧『TEAM EURO』時代にはメンバー全員の調子や仕上がりを確認する為のルートとして、非常に役に立ちました。

そのくらい脚の調整をしたり、レースの目標タイムの設定を作る目安になる良いコースなんです。

だから本当はもっと早い段階で、このルートを走行会のレギュラールートに加えたかったのです。

勾配はそこそこきつく、最大斜度は10%を超えるのだが・・・

全体的に見ると7%程度の登坂が多く、所々にフラットな区間がある為、平野~小部峠区間の平均勾配は5.7%と比較的優しいコース設定です。

6月の『つがいけサイクル』出場に絞ってトレーニングを始めるには、程よいのではないかと・・・。

このコースのポイントはスタートから200m地点の、祇園神社の脇から入ったばかりの旧道が最大斜度13%を誇る激坂ポイントで、次に菊水ゴルフ場入口手前の旧道から新道に合流する直前が、道も悪く傾斜がグッと上るポイントになります。

そして最も苦しいのが天王谷の吊橋が見える区間。

ここが一番心の折れそうになるポイントでしょう。

トンネルは車との距離に対する恐さを克服し、交通量の多いトンネル内における呼吸法さえマスターすれば、きっとすぐに慣れると思います。

さてようやく本題ですが・・・

僕以外は全員が初めて挑むこの登坂。

最初の激坂区間で走り慣れている僕が先行・・・。

その後ろから、さっきまでずっと最後尾の方を走っていたK様が追走してくる。

それに反応してO様2号が便乗。

I井様はいつものように、初めてのコースではペースを抑え、探りながら走る。

M様は職場の同僚であるI井様をライバル視しているので、I井様の走りを観察しながら慎重に上ってくる。

上りは得意じゃないというH川様はやはり少々遅れを取る。

しかし旧道と新道の交差地点で、念の為に一度後方を待つ為ストップした僕が振り向くと、ついてきたのはK様だけ。

I井様もついてきていたのですが、後方まで戻って上りをおかわり。

I井様は基本的に身体を冷やさないようにする為、常に動き続けるスタンスを貫いています。

激坂ポイントを途中まで、K様とのバトルを健闘していたO様2号は、序盤で頑張り過ぎて吐きそうになるくらいバテてしまったらしく、途中から失速したらしい。

よってM様のずっと後ろをおかわりしに戻ったI井様と、H川様のお二人と共に3人で上って来られました。

H川様曰く「お陰で一緒に走れるパートナーができて助かりました。」との事。

いえいえ、O様は確かに調整不足でしたが、H川様も一般的に見たらかなり立派な走りをされています。

結局峠までは、僕とK様、I井様の3名がグループのまま上り、やはりしばらく振りに自転車に乗って調整不足なM様が少し遅れ・・・

O様2号とH川様が励まし合うように走ってゴールとなりました。

途中信号待ちや、道を知らないメンバー待ちの為に3度止まった時間を省いた、平野~小部峠間(6km)の僕の走行タイムは22分ジャスト。

遅いですね。

K様もI井様もまだまだ余裕でついて来ていました。

この6kmの区間タイムを18分以内で走れる走力があって、乗鞍を1時間20分くらいで走れるレベルに相当するっていうのが、僕の中の目安です。

参考までに僕のベストタイムは15分23秒です。

その当時は38T×17Tのギヤ比で、両手放しのままここの6kmを上れるくらいの力があったので、今とは明らかに次元が違います。

当時の自分との力量差を、改めて感じる事ができて良かったです。

僕はまだまだ努力が足りていません(苦笑)

たまに中富君が『関西ヒルクライムTT』というPCサイトのネタを、お客様としている時があるんですよ。

その会話で、再度や表六甲、東六甲の上位タイムの話をして・・・

「こんなタイム考えられないっすわ!すごいっすわ!」等と言っているのを聞いていると、無性にむかつく時があるんですよ。

内心「だからどないしてん?」と思う反面、そこに今の自分が名を連ねられない悔しさが怒りに変わるんですよね(苦笑)

本来なら間違いなく「だからどうしてん?そんなしょうもないタイムを載せてるような連中と俺を比べんなよ!」と言えていたはずなのに、現実今はこんな小僧に遠回しにバカにされなあかんのか・・・的な気分になるんです。

悔しいなぁ~。

本当に以前の力を取り戻せるのかな~。

いや、むしろもっと速く、もっと強くなりたいんですけど・・・

2つ、3つ壁を越えるようなストイックなトレーニングを立て続けにこなさないと、そんなレベルには到底戻れないだろうな~。

もっと自分に厳しくなりたいです。

悔しい気持ちを胸に、ひよどり台~長田経由でお店まで帰りました。

今年は課題が一杯ですね!

とにかく蓄積した身体の疲れをどうにか抜きたいです。



まあここまで書くと、本当にストイックな走行会と思われがちなんですが・・・

実際のところ速かろうが遅かろうが、誰でも参加自由な当店の走行会ですので、僕の復活云々はこの際無視してご参加下さい。

チームメンバー同士すごく仲の良いチームなので、誰でも気兼ねなく参加できますよ(笑)

2014年1月10日金曜日

プライベートでは災難続きだった2013年よさらば!2014年は脱厄年!!

2013年だけでも車の故障が3回、事故が3回。

正直この事業を立ち上げてから、社用車のレッカーにお世話になった回数が4回という、あまりにも異常な状況に最後の方は言葉も出ないようなシーズンでした。

その上知人の紹介でお世話になり、信頼してお付き合いしていた業者とはその車の件でもめてしまい・・・

実は今も紛争中です。(まあ僕は今のところ沈黙を保っていますが・・・)

経営者は孤独・・・そうでなければ生き残れないというのは、理屈では解っているんですけどね・・・

ただ僕みたいに子供の頃に親に捨てられて、自分の行き場所や存在価値の基準を失った人間というものは、なんでも一人で判断してこなす勇気と力、ハングリー精神を身につける反面、常に自分が人からどう見られているのか、どう評価されているのかが気になってビクビクしているものなんですよ。

それだけに親身になって親切にされたり、自分の思惑を口に出す前に言い当てられたりすると、つい相手を信じ込んでしまったりするものです。

また僕みたいな人間は、こと自分の事に関して人に干渉されたくないっていう悪い習慣があって。

それが言葉足らずだったり、誤解を招いたりする事も多く・・・

あと変なプライドが働くんですよね。

子供の頃からずっと誰かに認められたい(恐らく今は亡き父親に)って一心で、勉強にスポーツに遊びにケンカ、どれ一つとっても他人には負けたくない・・・そうしないと自分の存在する理由を失ってしまうっていう強迫観念が、競争心が激しくて気位の高い自分を構築していったのだと、今だからこそ自分を分析できるし、いいところも悪いところも理解できるんですけど・・・

そんな性格が災いして、たくさん損して生きてきたな~って思うことも多々あります。

挫折も人一倍たくさん味わってきました。

ただ・・・挫折して燃え尽き症候群になっても、次の目標を作って素早く立ち直ることができたので、今もこうして生きていられるんだと思います。

過去に少なくとも3度は、廃人寸前まで追い詰められるような事件がありましたので、そう思うと今は経営者として店舗を構えている事が自分でもすごいなって感じたりしますね(苦笑)

実は以前勤めていた職場で『未来年表』を書いていたんですよ。

要するに自分の未来を具体的にイメージする事で、その目標に限りなく近づく努力ができるっていうやつ・・・

そこで僕は37歳で独立開業って書いてあったんですけど、それはピッタリ37歳の時に実現できました。

山あり谷ありどころか、山が1つに海溝が3つくらいの人生を歩んできましたが、少しずつ自分本来のレールに乗れてきたのかなって、そのときはそう感じました。

しかしまだまだ甘かったですね。

罠というものはどこに潜んでいるのか判らないものです。

まだまだ苦労は続きそうですが、僕には素晴らしいお客様方と心強い(?)スタッフがいるので、なんとか頑張ってもがき続けていくつもりです。

ちなみに僕は来年が前厄になります。

ところが残念な事に「厄年?来るなら来い!」って、余裕を持って向かい撃てるほどの力は、今の僕にはありません。

既に昨年までの4年間は強烈な厄年だったと思えるくらい、常に波乱に満ちていた期間だったので、今は自分でも驚くほどハートが憔悴しきっています。

何か腹の底から力の湧き上がるような気分に、またなってみたいものです。

やっと取り返して車検を通し、これから自分の納得のいく車に仕上げようと思っていた矢先にランエボが事故・・・

12月30日の話なんですけどね。

保険に入って僅か1週間ですよ・・・

「なんでやねん・・・」それしか言葉が浮かばない状態でした。

六甲ケーブル下駅前のヘアピンを上っていく際のことでした・・・

結構な勾配があるので、基本的に上る車にとってはブラインドコーナー同様の急カーブ。

店の掃除や正月の準備をした帰りに、用事で北区に向かう最中だったんですが、ヘアピンに差し掛かったら、明らかに対向車がセンターラインを割って先に侵入してきたんです。

正直上りを走っている僕にはセンターラインが見えていないので、相手がどこまで割っていたかまでは不明ですが、ガードレールと対向車との隙間の間隔を見れば、自分が抜けれるか否かの判断ができるじゃないですか?

確実にアウトでしたね。

そのまま踏み込めば相手の運転席に突っ込むし、路面が雨で濡れているうえスタッドレスタイヤの僕がブレーキをしたところで、タイヤがロックしてハイドロプレーニングになる事は瞬時で判断できたので、完全に一巻の終わりだと悟りました。

それでも同時に被害を最小限にしようとギリギリまでステアリングを切れ込ませ、ハイドロプレーニング現象中でアンダーステアまっしぐらの車体を、少しでもガードレール擦れ擦れに近づけようと、ブレーキを踏みながら小刻みにアクセルを煽ってみせる。

何とかLSD(リミテッド・スリップ・ディファレンシャルギヤ)を効かせて車体を切れ込ませ、同時に相手のBMWも外に膨らむようラインを変えたのですが、僅かに手遅れで・・・

フロントバンパーと右フロントフェンダーをバキバキにされてしまいました(涙)

自慢のカーボンボンネットも少し角を欠いてしまい・・・

何とも無残な姿に・・・

その上相手のBMWのドライバーは、あくまで「自分はセンターラインを割っていない!割ってきたのはそっちだ!」と言い張り、家族まで駆けつけてきて、ランエボを見るなり「そんなスピードの出る車やから、どうせメチャクチャ飛ばしていたに違いない!」などと言う始末。

誰が民家のある道路・・・ましてやヘアピンで無茶な走りをすんねん!って話ですよ。

確かにラインは少々脹らんだ感はありましたが、僕は車線走行に徹していましたから、間違ってもはみ出すなんて事はない!

そもそも表六甲をどれだけ走り込んでいると思ってんねん!そう言いたい心境でした。

まあ年末はそんな事もあって、凹んだりバタバタしたり・・・

1月26日には長野県の上田市で親戚の結婚式がございます。

それまでにはランエボを直しておきたいのですが、修理代もそうですが部品がなかなか手に入らなくて困っています。

どこかにCP9A型(エボ5又はエボ6)用のフェンダー、売ってませんかね~(涙)

純正フェンダーはアルミ製なので板金もできないんです。

フレームまで入らなかった事が唯一の救いか・・・

こんな感じで年末まで苦しい思いをした2013年でしたが、今年は一つ一つ解決して、自分のリズムを戻せるように頑張りたいと思っています。

どうかこんな僕とお店を、暖かい目で見守りつつ、本年もよろしくお願いします!

2014年1月8日水曜日

2013年12月29日(日)ポタリング(走り収め)

昨年の営業最終日は走り収めの日でもあり・・・

僕と留美さんを含めて7名でスタートしました。

最近寒かったり、忘年会明けなどでご参加されない方が多く、ちょっと寂しかったんですよね(笑)

しかし何よりも、今回の参加者5名が全員初参加だって事が、何より嬉しかったです!!

まず以前より参加を考えてくれていたというY崎様2号は、O様親子のM嬢以来の女性参加者で、

今後も女性メンバーが増えたらいいな~っていう共通の目的のもと、今回が初参加となりました。

乗っている自転車が、ブリヂストンのレイダックに初期型600アルテグラ(6400)を組み付けたマニアックなフラットバーロードなので、当時のパーツを知っている人が見ればすごくワクワクすると思います。

僕も小中学生の頃は、ブリヂストンのロードマンやレイダックに憧れて、「いつかはロードに乗りたいな~」って思っていた程の名車です。

またその他のメンバーは、飛騨へ里帰りしたK井様のプライベートの走り仲間の方々で・・・

H野様とH安様、W部様とS藤様の4名。

以前より当店をご贔屓にして頂いておりましたが、今回が初めての参加!

メンバーの中にはピスト(補助ブレーキはちゃんとつけています)で参加されている方もおられるので・・・

「どのくらいの登坂なら上れそうですか?」

思わず聞いてしまいました。

店前の歩道橋のスロープくらいはOKとの事だったので、安心してスタート!

早速海沿いに西へ走り、生田川沿いに北上・・・

「そういえば店長!こないだ教えていただいたバーガーピットのハンバーガー、めっちゃ美味しかったですよ!」

そうH野様に言われ・・・

「それは良かったです。そしてそんな事を言われると、朝からハンバーガーが食べたくなるじゃないですか!」

そういうと僕は王子公園内を走って、シンズバーガーまでまっしぐら!

前日に食べたばかりなのにまた行ってしまった(笑)

「今日はダブルパティにアボガドトッピングで!」

前日食べたプリンスバーガーの話をしたら、早速H安様が注文して食べてくれました。

バーガーピットも美味しいが、シンズバーガーも美味しいと、皆さん大満足で・・・

やはりオイスターチャウダースープは大絶賛でした!

シンズバーガーのマスターに全員で記念写真まで撮って頂き・・・

今回も楽しくポタリングを終えました。

しかし少々時間をオーバーしてしまい、慌ててお店に帰還すると・・・

「この寒さで外はキツイっすよ・・・」と、中富君がヘソを曲げて待っていました(汗)

大変申し訳ない。



ともあれ・・・

営業最終日に無事走り収めができた事を感謝致します。

皆様ありがとうございました!

2014年1月4日土曜日

新年明けましておめでとうございます!

とうとう平成26年になってしまいました。

皆様年末年始はご家族との時間を満喫できましたでしょうか?

僕の方は昨年末のブログを少々書き残しているので、改めてそちらも書かせて頂こうかと思っています。

しかし昨年は・・・

個人的な話ですが、終始不幸が続いていたので、本当に精神的に疲れました。

正直言うと過去4年間は、厄年が4年間続いているような感じだったので、今こうして商売を続けていられる事が奇跡というか・・・

「よく生きていたな俺・・・」と思う事が多々あります。

これも当店『自転車好房ラルプデュエズ』を、日頃よりご愛顧いただいておられる皆様のお陰だと、心より感謝致しております!

僕の好きな言葉に『大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)』という言葉がございまして・・・

これはまず大という文字が天という文字の下の部分であると解釈して天下という意味になります。

天下・・・つまりこの世において、一人は万民の為に、万民は一人の為に、全ての人々が助け合えば吉となり、泰平が訪れるという意味の言葉です。

この言葉は関ヶ原の合戦に、日本の未来の命運を懸けて挑んだ、石田三成の志であります。

また彼は敗戦後捕らえられ、五条河原で斬首されるその瞬間まで、「大将たる者死ぬその瞬間まで、いついかなる場合も生き抜くチャンスと勝利を諦めることなく、常に万全のコンディションを保ち続けるものだ。」と名言していたそうで・・・

僕も本当にその通りだと、彼の思想や生き様に共感して今日を生きています。

忠義を貫ける程の事業主に恵まれなかった僕にとっては、自分自身が理想的な職場を築いていくより他にベストな手段が無かったので、今後も身を削る覚悟で小さいながらもこの店を守り、少しずつ力を蓄えていきたいと思っています。

その為にも当店を贔屓にして頂いている皆様のご支援が必要ですので、是非ともお力添え頂きますようお願い申し上げます。

我々スタッフ一同も、未熟ながら皆様の安全で楽しいサイクルライフの為に尽力し、日々成長を続けていきたいと考えております。

どうか本年も格別のお引き立てをいただきますよう、よろしくお願い致します!